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新橋駅からはじまった鉄道の歴史<br>未来をつくる、駅のこれから(前編)

新橋駅からはじまった鉄道の歴史
未来をつくる、駅のこれから(前編)

移動のための通過点から、「エキナカ」に代表される商業空間を生み出すなどその価値を高め続けてきた「駅」。オフィスワーカー向けの新しいサービスの誕生や地方中核駅を中心とした自治体などとの連携によるまちづくりといった取り組みにより、駅はより生活者に寄り添う拠点へと今も進化し続けている。これから求められる駅とは、どのような姿なのだろうか。

駅のはじまり、広がる役割

 1872(明治5)年の鉄道開業にはじまる日本の駅の歴史。わが国において駅とは、どのような役割を果たし、また変化を遂げてきたのだろうか。

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1872年、西洋風の2階建ての駅舎が特徴的だった開業当初の新橋駅
写真提供:鉄道博物館

 駅とは何か──1921(大正10)年に制定された「国有鉄道建設規定」によると、駅は「列車ヲ停止シ旅客又ハ荷物ヲ取扱ウ為設ケラレタル場所」と定義付けられている。日本における最初の鉄道は、1872(明治5)年に開業した新橋~横浜間であるが、この時に新橋・品川・川崎・鶴見・神奈川・横浜の6駅(*1)が設置された。
 特に新橋、横浜の2駅は鉄道の起点・終点であったため、駅設備の他にもさまざまな機能が必要とされ、機関車や客車の車庫、燃料の保管庫、修理工場、荷物倉庫、荷物積所、職員宿舎などを併設。まさに「一大鉄道基地」の様相を呈していた。
 もっとも、それは初期のことで、やがて新橋駅は姿を変えていく。利用者が増え各施設が拡大したので、各施設を分散・独立させ、それぞれの機能の強化を迫られる。新橋駅の旅客業務は、1914(大正3)年に開業した東京駅へ移されて廃止。新橋駅は汐留駅に名称を変えて貨物専用駅となり、一方で烏森駅が新しく旅客専用駅として新橋駅の名称を引き継ぎ、現在に至っている。

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1901年、開業後約30年を経た新橋駅の様子
[「新撰東京名所図会」(鉄道博物館蔵)より]

東京駅を中核に発展した
丸の内のビジネス街

 東京駅は、最初から利便性の高い場所に設置された新橋駅と異なり、東京の中心地でありながらも未開発の場所に造られた。すでに東京の北の玄関口として上野駅(*2)も開業しており、南の玄関口である新橋駅と結ぶべく路線の建設が計画され、その間に中央停車場を設置することとした。これが東京駅となる。
 この頃になると、鉄道は各地に普及しており、駅は各都市の玄関口としての意味合いを持つようになっていた。駅を通じて、人やモノ、情報、文化が地域に伝えられていく。地域と外部をつなぐ接点──それが駅の役割となっていたのである。中央停車場は全国の駅の中心としての役割を期待され、ひいては首都・東京の玄関口となるべく計画されたものだった。
 当時の丸の内は閑散とした地域で、周辺の交通機関も未整備だったが、東京駅の開業により飛躍的に進歩する。丸の内一帯は三菱財閥により開発が進められていたが、交通の利便性が増したことでそれが加速、ビルの建設が相次いだ。
 完成したビルには多くの企業が事務所を置き、電報や郵便の需要が激増したことから日本橋にあった東京中央郵便局が丸の内に移転。丸の内駅舎の東京ステーションホテルには多くの国内外の賓客が宿泊し、丸の内は発展していく。
 こうした駅を中核とした「駅まち一体開発」の手法は、現在では公共交通の利用を前提とした日本の都市開発の特徴の一つとして確立されている。

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2012年、復原工事で開業当初の姿を取り戻した東京駅丸の内駅舎
©iStock.com / voyata

鉄道利用のための駅から
日常生活に関わる駅へ

 鉄道が長距離輸送だけでなく、通勤や通学など日常的な移動手段として使われるようになると、駅には象徴性よりも、多くの利用者を滞りなく迅速に乗降させるといった実用性が求められていく。
 そして人が多く集まることは、商業施設の設置へとつながった。1950年代には、民間資本を導入した駅本屋(*3)が整備され、その後国鉄が直接投資した駅ビルが建設され、さまざまなテナントが入居。駅は買い物機能も併せ持つようになり、人々の日常生活により深く関わる存在となっていく。
 加えて、2000年代以降は、商業施設がさらに進化。改札外だけでなく、改札内に鉄道事業者が主体となった商業施設を設置。この「エキナカ」では総菜店や飲食店のみならず、ファッションや雑貨店、理容室や保育園など多岐にわたるサービスが展開されている。
 鉄道利用のための駅から、人が集い、消費する駅へ。駅の役割はこれからも広がり続けていく。

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2020年、3月14日に開業した高輪ゲートウェイ駅は新技術を導入したサービスを展開する
撮影:小山一成(2020年2月撮影)

【クレジット】
*1 開業時は「宿駅制」が存在しており、1889(明治22)年の廃止まで「駅」の名称は使用できず、「ステーション」または転訛した「ステン所」「蒸気車会所」「鉄道館」「停車場」などの用語が使われていた
*2 1883(明治16)年開業。当時は日本初の私鉄・日本鉄道の駅だった。同社は現在の東北本線、高崎線、常磐線などを建設・運行していた
*3 駅の主要な施設が入っている中心的な建物のこと

掲載内容は、2020年3月までに取材を行い、各情報は、5月時点のものです。

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