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「祭り」を守れ!<br> Case.3 山形県鶴岡市 王祇祭<br> 優先するのは形態を守ることではなく<br> 続けていくためにいかに変化していくか

王祇祭で演じられる「所仏則(ところぶっそく)の翁(おきな)」は、黒川能にしかない独特のもの。王祇祭以外では、いかなる場合でも行われない

「祭り」を守れ!
Case.3 山形県鶴岡市 王祇祭
優先するのは形態を守ることではなく
続けていくためにいかに変化していくか

500年以上の歴史を誇る山形県鶴岡市の「王祇祭(おうぎさい)」。神事としての要素が強く、これだけ長く続くものは日本でも珍しいという。少子化などの影響を受ける王祇祭の今後の在り方はどのようなものなのか。

神様に能を奉納する神事の要素が強い祭り

 山形県の北西部、庄内地方に位置する鶴岡市黒川地区。この地の鎮守である春日神社では、旧正月に当たる2月1日から2日にかけて、「王祇祭」という祭りが行われる。王祇祭は地域外からの観覧も受け入れているが、神事としての要素が極めて強い祭りだ。
 春日神社では氏子が2つに分かれ、それぞれ上座(かみざ)と下座(しもざ)と呼ばれている。祭りの初日には、上座と下座のそれぞれでご神体である王祇様を当屋(とうや=神宿)にお迎えし、夜を徹して当地独自の能である黒川能や狂言を奉納する。そして2日目の早朝、王祇様は神社に還り、そこから夕方にかけては、拝殿において上座下座の双方により能が奉納される。
 なお舞方・狂言方・囃子方ともに役者を務めるのは、春日神社の氏子の男子たち。また当屋を務めるのは、高齢となって両座の氏子の長人衆(おとなじゅう)と呼ばれる人たちの中で、最長老の家である。
 「氏子が上座と下座に分かれて、神様の前で競い合うように能を舞う祭りを、ほかに目にしたことがなく、黒川独自のものだと思います。また黒川能についても、似たような能が継承されている地域は見当たらず、やはり黒川ならではのものです」
 こう話すのは、黒川能の下座の太夫であり、黒川能保存会業務執行理事を務める上野由部さんだ。

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上野 由部
公益財団法人黒川能保存会 業務執行理事
黒川能の里 王祇会館 館長
黒川春日神社下座 能太夫(座長)20世

能を受け入れる素地が黒川にはあった

 上野さんによれば、黒川能の起源は定かではないが、武藤氏が庄内を治めていた1400年代後半あたりが有力だという。当時京都では勧進能が盛んに催されており、上洛の折、これに接した武藤氏が庄内に持ち帰ったのではないかというのだ。ではなぜ庄内の中でも、黒川に能が根付いたのか。「王祇祭で行われる『大地踏(だいちふみ)』という儀式や、『所仏則(ところぶっそく)の翁』という能で使われる詞章を読み込んでみると、仏教色が強いのが分かります。おそらく黒川では古くから山岳信仰の影響を受けた延年系(※1)の翁猿楽(※2)が盛んに行われており、新たに能が入ってきたときに、それを受け入れる素地があったということだと思います」
 また王祇祭が今の形式になったのは、室町時代末期から江戸時代中期にかけてのことではないかと上野さんは推測する。黒川能は江戸時代には、庄内を治めた酒井家からの手厚い庇護を受けた。黒川で能に関わる人々には、特別に名字帯刀が許されるほどだったという。

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(右)「岩船」は、1日の演能の最後に演じられる祝意を込めた能「祝言能」に当たる。これは王祇祭以外の春日神社の例祭でも演じられる
(左上)王祇祭の前段にあたり、神を迎え入れる「降神祭」の模様
(左下)「黒川能の里 王祇会館」では国指定重要無形民俗文化財である黒川能を深く知ることができる

※1 延年とは、日本において寺院の大法会の後に僧侶や稚児によって演じられた芸能を指す
※2 能が成立する以前から、祈祷・呪法を行なった僧(=呪師/ずし)が寺院で行っていた技芸の流れをひく芸

氏子でなくても、女性でも舞台に立てるようにしたい

 現在、黒川地区の戸数は約300戸。そのうち春日神社の氏子は200戸程度で、能役者として活動しているのは、上座下座ともに70人前後だ。
 「かつては氏子の男子であれば、全員が役者になっていました。氏子であるにもかかわらず、役者から抜ける人が出始めたのは、高度成長期のころからです。今も地元の若者の中には、王祇祭や黒川能の伝統を守らなくてはいけないと考える人は多くいますし、両座で役者が70人ずついれば、祭りや能を行う上では特に支障はありません。しかし一方で能役者の数が、わずかずつですが減少傾向にあるのも事実です」
 また黒川にも少子化の波が押し寄せている。王祇祭の中の「大地踏」の儀式は、4歳から6歳までの男児によって行われるが、最近では該当する年齢の男児が減っており、やりくりに苦慮している。
 そうした中では能役者の数も、いずれは不足し、存続が危ぶまれる事態になることも予想される。
 上野さんは今、地元の小学校のクラブ活動で、子どもたちに黒川能を教えている。小学生の中には女児もいれば、黒川以外の地域に住む子どもも参加しているという。
 能と祭りの存続のため、上野さんは「役者は氏子の男子に限る」というこれまでの決まり事を、改める必要があると考えている。これには黒川の中でも賛否両論あるが、上野さんは「氏子ではない人や女性でも役者として王祇祭の舞台に立てるようにしたい。また『大地踏』の儀式を女の子が務めてもいいではないですか」と話す。
 さらには、王祇祭の準備や運営に伴う労力や金銭的な負担を軽減するため、これまでは自分たちで作っていた料理(王祇祭では「凍(し)み豆腐」という豆腐が、参加者に振る舞われることで知られている)を外部に委託するなど、簡素化も進めていきたいという。
 「従来の祭りの形態を守ることを優先するあまりに、担い手がいなくなってしまったら、500年以上続いてきた王祇祭も黒川能も途絶えてしまいます」
 上野さんは、伝統を守るためには時代とともに柔軟に変化することが必要だと語る。今後、地域がどのように変化していくのか、期待が持たれる。

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地元・櫛引東小学校の児童による舞囃子の様子

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