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企業とスポーツの新しい関係<br>Special Interview<br>五郎丸 歩氏<br>マイナー競技にこそ企業の支えは不可欠

企業とスポーツの新しい関係
Special Interview
五郎丸 歩氏
マイナー競技にこそ企業の支えは不可欠

ラグビー元日本代表の不動のフルバックとして活躍した五郎丸歩氏は6年弱にわたり、ヤマハ発動機株式会社の社員選手として、ラグビーを行いながら会社の業務も担っていた。そんな五郎丸氏に、企業とスポーツの関係をどのように考えているのかを伺った。

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五郎丸 歩氏
元ラグビー日本代表
静岡ブルーレヴズ株式会社
CRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)
1986年福岡県生まれ。高校時代は3年連続で全国大会に出場。早稲田大学では1年次よりフルバックのレギュラーとして活躍し、4年間で3度の大学日本一に貢献。2008年より、ヤマハ発動機ジュビロに所属し、トップリーグで4年連続ベストフィフティーンに選出される。ラグビーワールドカップ2015イングランド大会では、日本代表副将として、過去2度の優勝を誇る南アフリカ代表を下し、日本ラグビー史に刻まれる成果を残した。この大会で日本人初、大会ベスト15に選ばれる。日本代表通算711得点は最多。21年6月に現役を引退し、静岡ブルーレヴズ(旧ヤマハ発動機)のCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)となり、現在に至る。

ラグビーをしながら広報宣伝部で働く

 早稲田大学を卒業した2008年、ラグビートップリーグのヤマハ発動機ジュビロにプロ契約で入社しました。しかし、10年からは、ヤマハ発動機株式会社の社員選手としての契約に切り替わりました。ラグビー部が活動を縮小し、選手とのプロ契約を解除して、全選手をヤマハ発動機の正社員にする方針に転換したからです。
 ヤマハ発動機ジュビロの環境が好きで入社したので、他のチームに移籍するつもりはありませんでしたが、正直、最初は戸惑いました。これまでは、一日の全てをラグビーに費やせましたが、社員契約になってからは、オフシーズンは午前8時~午後5時まで就業。リーグ戦が始まってからも、午前中は会社で働いていました。
 配属先は広報宣伝部。広報用のオートバイや電動アシスト自転車の在庫管理と配送手配を担当したのですが、これまでアルバイトの経験すらありませんでしたから分からないことばかりです。電話の取り方など、社会人としての基本を教えてもらう日々を送りました。
 しかし、そこから6年弱、社員としての生活を送る中で、プロ契約では味わえなかった喜びがありました。それは、普段接している広報宣伝部の先輩や同僚から応援されるようになったことです。ラグビーが好きな方だけでなく、当初は私に興味がなかった方まで熱狂的なファンになってくださって、会場に足を運んでいただけるようになった。試合後に、皆さんにあいさつに行くのが楽しみになりましたね。
 また、自分が社員選手になったことで、ヤマハ発動機が社員選手の将来をきちんと考えてくれていることも知りました。社員選手は現役を引退した後、基本的にはそのまま会社で働き続けられます。それを見据え、現役の頃から社業にもきちんと取り組むことを求められました。ラグビー部の社員も、他の社員と同様に人事評価があり、ラグビーでA評価でも職場でC評価なら、トータルでBやCに下がります。
 また後にプロ契約も復活したのですが、希望する選手も簡単にはプロになることができず、将来のビジョンなど、さまざまな基準をクリアする必要がありました。勢いでプロになっても長続きしないのではないか、という会社側の配慮です。
 いずれもラグビーだけをしたい若い選手にとっては余計なお世話かもしれませんが、現役引退後の長い人生を考えれば大切なことです。私はヤマハ発動機のことしか分かりませんが、こうした配慮をしてもらえることは企業スポーツの長所だと思います。

企業スポーツはこれからも必要か?

 21年6月に現役引退後、私は新たな挑戦をするために、「静岡ブルーレヴズ」のCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)に就任しました。静岡ブルーレヴズは、ラグビー新リーグのリーグワンの発足に伴い、ヤマハ発動機の一組織だったヤマハ発動機ジュビロを子会社化したチーム。大きな特徴は、「ヤマハ発動機」という企業名をチーム名から外し、独立したクラブチームとして運営することです。
 企業名を外したのは、企業スポーツの範囲で収まっているだけではラグビーファンの裾野を広げるのに限界があるからです。ラグビー日本代表は15年、19年のW杯で大躍進を遂げ、19年のW杯は日本で開催したわけですが、実はファン層は広がっていません。
 そんな折、リーグワンが発足し、各チームが興行権を持ち自由な試合運営が可能となりました。企業スポーツから脱却したチームをつくろうと新会社の山谷拓志社長から誘われ、挑戦したいと思ったのです。オーストラリアやフランスのプロクラブでもプレーし、日本とは異なる運営スタイルを経験できたことも後押しとなりました。
 今年1月の開幕に向けて、スポンサーへのあいさつ回りからチケットの販売まで、本格的に運営に関わりました。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、開幕から3試合連続で中止になり、独立採算のチームにとって厳しいシーズンとなりましたが、すでに前を向いています。ラグビー界を変えるためには「企業名」ではなく「チーム名」を主語としたチームとして成長することが、私たちの責務だと考えています。その上で、企業がスポンサーになりたいと思えるチームをつくること。これが今の目標です。
 ただ、私たちは企業スポーツから脱却しましたが、企業スポーツが悪だとはまったく思いません。興行権を持てる競技なら企業から独立できる可能性があるのですが、興行権を持てないマイナー競技は企業の支えがなければ成り立ちません。スポーツ界全体を支える上で、企業スポーツの存在は今後も不可欠だと思います。

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