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「ダイナミックプライシング」の可能性とは(後編)

「ダイナミックプライシング」の可能性とは(後編)

実際にダイナミックプライシングを用いたサービスを展開する企業に、導入の経緯やその内容について伺った。果たして、顧客からはどのような反応があったのか。また、今後はどのように進展していくのだろうか。

乗車率の平準化を図るためシステムを導入する

 近年、ダイナミックプライシングは、ホテル、航空会社、スポーツイベント、ECサイト、家電量販店など、さまざまな分野で導入が進みつつある。高速路線バス事業も、その中の一つだ。
 仕掛けたのは京王電鉄バス株式会社だ。同社では高速バス座席予約システムの「SRS」を運営している。これは予約・発券・精算に加えて利用分析機能も有するもので、全国45社のバス事業者が利用。路線数は140を超える。乗客向けには、「ハイウェイバスドットコム」というサイト名で、予約・発券・決済サービスを提供している。
 2020年12月、同社はこのSRSに、ITベンチャー企業のハルモニア株式会社(旧株式会社空)が開発したデータの取り込み・分析・価格決定を高速化するダイナミックプライシングシステム「MagicPrice」を接続。自社でも「MagicPrice」を用いて、一部路線でダイナミックプライシングによる座席販売を行うとともに、SRSを利用している他のバス事業者にも、このシステムを提供することにした。

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 同社がダイナミックプライシングに注目し、SRSと「MagicPrice」を連携させた背景について、運輸営業部高速・貸切事業担当の武井雅史氏はこう語る。
 「高速バスは、曜日や時間帯、シーズンによって、乗車率に大きな違いがあります。満席時には臨時増便を出すという選択肢もありますが、乗務員不足の慢性化や、車両数の制約があり、それも困難な状態が続いていました。そこで座席の予約状況に応じて運賃を変動させることで、満席が確実な便から閑散便へとお客さまを誘導しようと考えたのです」
 同社では既に20年春から、新宿・池袋~長野路線(アルピコ交通、長電バスと共同運行)と新宿~仙台路線(宮城交通と共同運行)については、担当者がデータを分析しながらも手作業でダイナミックプライシングを実施してきた。しかし、運賃設定担当者の業務負担が膨大になることや、業務が属人化してしまうことが課題となり、「MagicPrice」を活用してシステム化を図ることにした。
 「ダイナミックプライシングを始めるにあたっては、お客さまを混乱させないために、当社のホームページや『ハイウェイバスドットコム』の予約サイトなどで、事前に周知しました。お客さまは既に航空機やホテルなどでダイナミックプライシングに慣れているせいか、あまり大きな戸惑いもなく受け入れてくださったと思います」(武井氏)
 当初2路線からスタートした同社のダイナミックプライシングは、現在6路線にまで拡大。またSRSを利用している他のバス事業者の2路線にも、ダイナミックプライシングが新たに導入されており、順次拡大していく見込みだという。

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京王電鉄バス株式会社運輸営業部高速・貸切事業担当の武井雅史氏(左)とハルモニア株式会社CEOの松村大貴氏

ホテル事業とバス事業では価格戦略が異なる

 今回SRSに接続された「MagicPrice」は、過去の販売実績などをもとに、収益の最大化が見込める運賃を該当路線・便ごとに提示するとともに、実際の販売状況に応じて、推奨する運賃をフレキシブルに変動させていくというものだ。バス会社の運賃設定担当者は、その推奨運賃を参考に、実際に運賃を変動させるかどうかを判断する。SRSの場合、運行の1カ月前から予約を受け付けている路線が多く、「予約を開始して間がない時期はだいたい1〜2週間に1回程度、乗車日が近づいてくると2、3日に1回程度の頻度で運賃を変更している」(武井氏)という。
 「MagicPrice」を開発したハルモニアでは、従来はこのシステムを、ダイナミックプライシングによる価格設定を行っているホテル・旅館事業者を中心に提供してきた。今回はそれをバス事業者へと横展開したわけだ。
 ハルモニアの創業者でCEOの松村大貴氏は、「システムや機能そのものは、さまざまなホテルや旅館に提供しているものと基本的には同じ」とした上で、相違点については次のように語る。
 「どういう状況のときに、どういった価格設定をするのが適切であるかについては、ホテル・旅館と高速バスとでは違ってきます。また同じホテル事業でも、価格戦略は各社で異なります。そこで『MagicPrice』を提供するにあたっては、業界ごとの特性を見極めるとともに、各社からも価格戦略を十分にヒアリングした上で、『MagicPrice』で推奨する価格や、価格を変動させる際の上限と下限の幅を事業者ごとに変えています」

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座席の予約状況に応じて運賃を変動。満席が確実な便から閑散便へと乗客を誘導する

 例えばホテルの場合、予約状況に応じて宿泊料金に2、3倍の差をつけることがセオリーとされているという。ホテルは客室数の柔軟な変動が困難であるとともに、その日空室になった客室を翌日以降に持ち越して販売することも不可能だ。さらには固定費が重くのしかかってくるビジネスでもある。
 そのため、閑散日には大幅に値下げをしてでも稼働率を上げるとともに、繁忙日には思い切った値上げをすることで、利益の最大化を図ろうとする事業者が多い。また、ホテル業界におけるダイナミックプライシングの浸透によって、利用客も、宿泊料金の変動幅が多少大きくても、それを容認するようになっている。
 一方高速路線バスも、座席数の柔軟な変動が難しく、空席を翌日以降に持ち越せない点はホテルと同じだ。
 ただし大きく違うのは、利用客の選択肢の幅である。一定の規模の都市になれば、ホテルの数はいくつもあるため、利用客はあるホテルの価格設定に不満を抱いたときには、別のホテルを選べばいい。しかし高速バスの場合は、1社のみが運行している単独路線も少なくないなど、選択の幅が限られる。また「生活の足」として使っている利用客も多く、あまりに大幅な運賃の変動は、利用者の生活に多大な影響を及ぼすことになりかねない。
 高速路線バスにおける適切な運賃の変動幅について、京王電鉄バスの武井氏は次のように語る。
 「満席になりそうだからといって、極端に値上げをすると、お客さまからの当社への信頼が損なわれ、顧客離れを起こす恐れがあります。そのため変動幅は、現状では販売開始時の運賃から10~30%程度にとどめており、路線によっては、競合の価格戦略なども考慮に入れるようにしています」
 なお、同社では、ダイナミックプライシングを導入する路線についても慎重に選択している。今のところ、生活路線の役割も担っている短距離路線ではなく、観光客やビジネス客が中心の中長距離路線から導入を進めているという。

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「運行事業者と一緒に価格戦略を考えることにやりがいを感じる」と語る京王電鉄バスの武井氏。ハルモニアの松村氏らとともに、ダイナミックプライシングを利用したより良いサービスの構築を目指す

保険金の予測ができない保険商品をどう実現するか

 生命保険業界においても、ダイナミックプライシングの概念を活用した保険商品が登場している。第一生命グループの第一スマート少額短期保険株式会社が21年4月より販売を開始した「特定感染症保険」(コロナminiサポほけん)だ。
 この保険は、新型コロナウイルス感染症や、法律で指定されている1類から3類までの感染症にかかっていると診断された場合、一律10万円が給付されるというもの。保険期間は3カ月(保険料の支払いも3カ月に一度)で、その後は自動更新となっている。
 最大の特徴は、新型コロナウイルスの感染状況によって保険料を毎月変動させていることだ。例えば販売が開始された4月の保険料は980円だったが、その後第四波が到来して感染者数が増加したため、5月、6月の保険料は1270円となった。同社代表取締役社長の髙橋聡氏は語る。
 「通常保険商品は、例えばガン保険なら、年間何万人くらいの方がガンになり、入院や手術を受けているかといった過去のデータに基づいて、将来発生する保険金を予測し、お客さまからお預かりする保険料を算出します。しかし、『コロナminiサポほけん』で難しかったのは、今後どれぐらいの方が新型コロナウイルスに感染するのか、それによってお支払いする保険金の総額がいくらになるのか、過去データに基づいての予測ができず、適切な保険料の算出が困難でした」

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髙橋 聡氏
第一スマート少額短期保険
株式会社 代表取締役社長

 髙橋氏は、「本来、保険会社は保険金の予測や適切な保険料の設定が難しい分野については、商品化をためらうもの」だと話す。その理由として、加入者から預かった保険料から、保険金を確実に支払うことが求められ、保険会社はその責任をしっかりと果たす必要があることが挙げられる。しかし、それでもコロナ保険のような保険を世に出す意義は大きいはずだと考えた。
 「新型コロナウイルスの場合、医療費自体は公費負担であるため、感染者が負担する必要はありません。とはいえ、仕事を休んでいる間には、さまざまな出費が発生するでしょう。そこで給付金額自体はさほど多くなくてもいいから、万一、新型コロナウイルスに感染したとき、保険によってサポートできれば、エッセンシャルワーカーのような社会の第一線で働かなくてはいけない方の心強い味方になるのではないかと思ったのです」(髙橋氏)
 では、「本来なら商品化しにくい保険商品をどうやって成り立たせるか」と考えたときに浮かんできたのが、ダイナミックプライシングのアイデアだった。
 感染が拡大局面にあるときは、保険金の給付総額も増大することが予測されるので、保険金の原資となる保険料を引き上げ、逆に縮小局面にあるときは、保険料を引き下げるわけだ。発売当初の保険料は、890円から2270円の間で変動するように設定。保険料を変動させる頻度も、保険の加入者に不要な混乱を招かないようにするため、毎月の月初1回だけにとどめた。そしてこの条件を関東財務局に届け出て認可を受けることができた。
 「コロナminiサポほけん」は、4月の販売以来、8月末までに約2万件の加入者を獲得した。「中には物流の現場で働いている方が、同僚に呼びかけて、職場のみなさんで加入してくださっているケースもあります」(髙橋氏)。

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顧客に対する保険料変動の説明が重要

 髙橋氏は、「今回の保険は、ダイナミックプライシングを導入したからこそ、保険料を低く抑えることができた」と振り返る。
 保険会社として最も避けたいのは、加入者から預かった保険料総額を上回る保険金の支払いが発生することだ。「コロナminiサポほけん」のように、保険金の発生予測が困難な保険商品の場合、こうした事態を回避するためには、通常はあらかじめ保険料を高く設定するしかない。ただし、それでは加入者の負担が大きくなるため、ダイナミックプライシングが選ばれたのだ。
 同社は現時点では、「コロナminiサポほけん」以外には、ダイナミックプライシングを用いた保険商品の開発は検討していないという。「ただし、新型コロナウイルスのように、保険金額の発生予測が困難な分野で保険商品を開発する際には、有効な手段だと思います」と髙橋氏は話す。
 「保険分野で、お客さまからダイナミックプライシングを受け入れてもらうためには、価格設定にある程度の予見性があることが条件になると思います。発売当初の保険料は890~2270円としましたが、お客さまに安心して加入し続けていただくために、保険料の変動のお知らせについては事前にお伝えすることが、とても大切になるはずです。具体的には、ご契約の次回保険料については1カ月前までにお知らせし、お客さまご自身に契約を継続するかどうかご判断いただくこととしています」
 志高く始まった「コロナminiサポほけん」だが、9月1日現在で一部販売を休止している。今回、取材を行ったのは8月上旬。その後、当初の想定を超えて感染が急拡大したためだ。販売休止の措置は、すでに加入している契約者の保険金の支払いを確実にするため。ただし、今後、現在の感染状況に対応できる保険料率を設定して販売再開を目指すという。消費者にとってメリットの高いものだけに、これからの展開に期待したい。

※「コロナminiサポほけん」は2021年10月1日より、今後のさらなる感染拡大も想定した新保険料率の準備が整い、販売を再開している。

ダイナミックプライシングが社会課題を解決する

 ここまで高速路線バスと生命保険商品におけるダイナミックプライシングの導入例を見てきた。では、今後新たにダイナミックプライシングの導入が期待される分野としては、どういったものがあるのだろうか。前出、ハルモニアCEOの松村氏は、「小売業界や流通業界の動きに注目している」と話す。

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フードロスを減らすという目的でダイナミックプライシングの導入を検討するスーパーもある

 特に小売業界の中でも生鮮食料品の分野では、賞味期限が近づいた食品がスーパーやコンビニなどで大量に廃棄されるフードロスが社会課題になっている。同様にアパレルの分野でも、シーズンを過ぎて余剰在庫となった洋服が、流通や小売の過程で大量に捨てられるという問題が起きている。
 だが、賞味期限が近づいている食品でも、またシーズンを過ぎた洋服でも、「価格が安くなっているのなら買ってもいい」と考える人は、決して少なくないはずだ。
 「既にヨーロッパでは、フードロスをなくす観点から、スーパーがダイナミックプライシングを導入する動きが始まっています。遅かれ早かれ、日本にも広まっていくのではないでしょうか」(松村氏)
 つまり、小売業界や流通業界においてダイナミックプライシングを浸透させることは、社会課題の解決にもつながるわけだ。
 「ダイナミックプライシングの良いところは、SDGs(持続可能な開発目標)に関わる取り組みの中でも、数少ない利益とサスティナビリティの両立を図れる仕組みであることです。例えば、製品や梱包に使用している素材を再生可能なものに転換していくというのは素晴らしいことではありますが、コストがかかるので企業は負担を強いられます。しかし、ダイナミックプライシングは企業も利益を得られるし、社会課題も解決できる。そこに私は、ダイナミックプライシングの可能性を感じています」(松村氏)

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アパレルにおいても衣服ロスだけでなく、在庫過剰を適正化しようと導入の動きが見られる

JR東日本の取り組み 時差通勤によるポイント還元で新しい通勤スタイルを応援

 ダイナミックプライシングそのものではないが、JR東日本もSuica通勤定期券を利用する顧客を対象に、時差通勤によるポイント還元サービスを2021年3月から開始している。
 これは対象エリア内のそれぞれの駅に利用者が混雑するピーク時間帯を設定。その前1時間の「早起き時間帯」に入場した場合は15ポイント、ピーク時間帯後1時間の「ゆったり時間帯」では20ポイントを、利用者にJRE POINTで還元するというもの。ポイントは2カ月に1度還元され、駅ビルでの買い物、Suicaグリーン券との引き換え、えきねっとでの新幹線チケットの利用など、さまざまな用途に利用できる。
 「働き方改革が進んだ影響もあってか、お客さまの通勤スタイルは変わりつつあります。そこで当社としては、お客さまの新しい通勤スタイルを応援したいと考え、本サービスを企画しました」
 そう話すのは、JR東日本鉄道事業本部営業部営業戦略グループの中村利彦さんだ。

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中村 利彦
JR東日本 鉄道事業本部 営業部 営業戦略グループ

 21年9月初旬時点で、登録された利用者は約50万人。利用者からは、「ゲームのログインボーナスみたいで楽しい」など、概ね好意的に受け入れられているという。
 利用者にとってはポイント還元が得られるうえ、ピークの時間帯が分散されれば、混雑が緩和され快適に通勤できるわけだが、鉄道事業者にとってもコスト構造を平準化するなどのメリットがある。
 「本サービスは22年3月末までとしていますが、現在、実施している埼京線のキャンペーンなども踏まえ、お客さまからのご意見や状況の分析などを重ねていきます。国も検討を始めたダイナミックプライシングに類似した部分もあり、お客さまにどう受け止められるのかを見ていきたいと考えています」


旅行商品の価格もダイナミックプライシングの時代に!?

 旅行会社が発行する旅行商品のパンフレットには、基本的に旅行代金が明示されている。しかし最近、おおよその目安額が示されるのみのパンフレットが登場してきた。これは2020年4月より日本航空と全日空が、旅行会社に販売している個人ツアー向けの国内線運賃にダイナミックプライシングを導入したからだ(新IIT運賃)。航空運賃がダイナミックプライシングになれば、ツアーの中に航空機での移動を含んでいる旅行商品についても、旅行代金を刻々と変動させざるを得なくなる。必然的に、ダイナミックパッケージと呼ばれるツアーの販売の主役は各社ともインターネットだ。
 これは旅行商品を利用する消費者に、どのような影響をもたらすのだろうか。一般社団法人日本旅行業協会参与の越智良典氏は、「メリットとデメリットがあります」と話す。

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越智 良典氏
一般社団法人 日本旅行業協会 参与

 デメリットは、旅行商品の契約をするその瞬間まで、正確な金額が確定しないことだ。またこれはメリットともデメリットとも言い難いが、同じ旅行商品なのに契約をしたタイミングによって、他の人との購入金額に差が出ることも、ダイナミックプライシングの特徴といえる。
 一方メリットは、繁忙期と閑散期の価格差にこれまで以上にメリハリがつき、閑散期を狙った旅行がお得になることだ。日本人の旅行は、休前日・休日やゴールデンウイーク、お盆、年末年始に集中している。これをいかに平準化するかは旅行業界の課題であると同時に、消費者の多くも、空いているシーズンに安い値段で旅を楽しみたいはず。
 「働き方改革の進展も相まって、人々の休みの取り方の意識も変わりつつあります。旅行業界においてダイナミックプライシングの動きが進むことが、平日に休みを取って旅をしやすくなる環境づくりを後押しすることにつながれば、お客さまのメリットは大きいと思います」(越智氏)

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