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国鉄時代に迎えた旅の転換点<br>"ディスカバー・ジャパン"<br>「旅」のこれから

国鉄時代に迎えた旅の転換点
"ディスカバー・ジャパン"
「旅」のこれから

新型コロナウイルス感染症拡大により、人々は移動を制限されている。一方で、「旅をしたい」という人々の気持ちは高まり、バーチャルツアーなど、新しい旅のかたちが誕生している。私たちにとって「旅」とは、どのようなものなのか。そして、これからどのようなスタイルに変わっていくのか。日本人にとっての旅を遡るとともに、「旅」のこれからを考察する。

昔から「大の旅行好き」日本人 これまでの旅

 日本人の旅のかたちは、江戸時代、明治時代、そして昭和と、時代とともに変化してきた。かつての旅とは、どのようなものだったのか。その歴史を振り返る。
 その昔、旅は命がけであった。整備されていない道を、ひたすら歩かなければならない。当然、途中で泊まる場所もない。一部の貴人たちは護衛をつけるなどができたが、庶民は、自分で身を守る必要もある。だから旅は、よほどの目的がなければするものではなかった。
 その様相が変わったのが、江戸時代に入ってからだ。幕府が参勤交代を制度化したため、全国の大名は行列をなし、江戸に出府する必要があった。その中で、街道や宿場が整備され、徒歩で旅をする環境が次第に整っていった。

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鉄道の登場で街道沿いの宿場は役割を失っていった。画像は初代歌川広重「東海道五十三次之内藤沢(蔦屋版)」

 もっとも、人々の移動は制限されており、誰もが自由に旅をするわけにはいかなかった。だが、社寺参詣が理由だと話は別で、かなり寛容に扱われた。江戸時代中後期に入ると、多くの人がお伊勢参りに出かけるようになり、最盛期には半年で460万人もの人が押しかけたというから驚きだ。一生に一度はお伊勢参りを──これが庶民の望みだった。
 この過程で、各地の名所の絵に解説が入った「名所図会(ずえ)」が出版されるようになる。現代と同じように携帯できるようなコンパクト版も登場し、庶民はそれを参考に旅を楽しんだ。
 幕末から明治期にかけての日本学の権威とされるイギリスの外交官アーネスト・サトウは、当時の日本人に対して「大の旅行好き」と評している。街道、宿場、案内本などツールが揃っている環境は、イギリスから来た彼を驚嘆させたのではないだろうか。

鉄道の登場で、より身近になった旅

 明治時代に入ると、1872(明治5)年の鉄道の登場で日本人の旅は大きく変わることになる。1889(明治22)年には、新橋から神戸までの東海道線が全線開通。これまで重要な役割を果たしてきた東海道という街道、付随する宿場の役割が、各鉄道駅に移行していく。東海道以外の街道も同じで、各地で開業する鉄道路線により、同じ道を辿った。
 ちなみに、この頃の新橋から大阪までの所要時間は1日半ほど。徒歩では10日以上かかっていたというから、人々の負担は大きく軽減された。しかも、短時間で移動できることで、その間にかかっていた食費や宿泊費などが削減された。鉄道が移動手段の主役となったことで、より旅は身近なものとなり、日本人の「旅行好き」に拍車がかかった。

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日本初の食堂車が1899(明治32)年に登場。画像は成田鉄道(現在のJR東日本成田線)の喫茶室の様子[『風俗画報』第274号(1903年)より。鉄道博物館提供]

 一方で、旅のあり方も変化した。民俗学者の柳田國男が指摘したが、それは旅の単純化である。徒歩の旅では、道中を楽しむことができた。だが、鉄道での移動では、目的地に着いてからが本番となっていた。
 鉄道を維持するために、多くの利用者を必要としていた事業者たちは、旅の目的となり得る沿線の名所の宣伝、さらには観光資源の掘り起こしに力を入れた。特に人気は、神社仏閣、温泉などだった。
 同時に旅行商品も生み出されていく。1900年代に入ると、回遊列車の運行がブームとなった。観梅、観月、紅葉見物、松茸狩りなど、地域の資源を活かし、団体客を誘致した。団体で乗車することで費用を下げ、これまで旅行をしなかった層の利用促進に、大きな効果があったという。
 なお、1893(明治26)年には渋沢栄一も設立に尽力した「喜賓会 Welcome Society」が組織され、外国人旅行者の誘致を開始。活動は1912(明治45)年に新設されたジャパン・ツーリスト・ビューローに引き継がれ、この頃からすでに観光立国が推進されていたことは特筆すべきことだろう。

画一的な目的から、各個人の嗜好を満たす旅に

 明治、大正と旅行産業は発展を続けていくが、戦争へと突入したことで、それどころではなくなってしまう。次に盛り上がりを見せるのは、敗戦から高度経済成長期に入った1960年代まで待つことになる。
 政府は、1963(昭和38)年に「観光基本法」を制定。観光を「国際平和と国民生活の安定を象徴」するものとした。日本は高度経済成長のただ中であり、国民の所得は向上、余暇に目を向けるゆとりもできていた。
 さらに70年代に入ると、政府が公的な余暇施設の整備を進めたこと、さらに国鉄が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを展開したことから旅行の需要は拡大した。同キャンペーンは、高度経済成長で失ったさまざまなものを反省し、日本の美しい自然や文化、歴史、伝統、人々との触れ合いを見直そうというものであった。

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国鉄が展開した「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンポスター

 キャンペーンは世相とマッチし、これまで画一的な目的の団体旅行がメインであった人々の目を、それぞれが目的を持った個人旅行へと向けさせるきっかけとなった。
 旅行商品の開発も、集団ではなく、個人にとっていかに魅力的な提案ができるか、という考え方へとシフト。また、旅行商品に頼らず、自分で行程を組む人が増えるなど、旅の楽しみ方も多様化していった。現在の旅の潮流は、この頃に始まったのである。

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