オイカワデニムが世界中で愛される理由とは
世界を支えるものづくり
宮城県気仙沼市に本社を置くオイカワデニムは、品質の高いジーンズの製造で知られ、海外にも多くのファンが存在する。地元でフリーアナウンサーとして活躍する岩手佳代子さんが同社を取材。代表取締役社長・及川洋さんに、その人気の秘密を聞いた。
Company Profile
有限会社オイカワデニム
代表取締役社長:及川洋 おいかわ・ひろし
本社:宮城県気仙沼市本吉町蔵内83-1
創業:1981年
従業員数:22名
事業内容:デニム衣類の企画・製造・販売
「山」の上にいる時こそ次の一手が必要
世界的ブランドの復刻モデルを手掛けるなど、その縫製技術の高さを国内外で知られるオイカワデニム。同社のオリジナルブランド「STUDIO ZERO」が2005年に誕生した経緯を、社長の及川洋さんに伺いました。
代表取締役社長の及川洋さんとフリーアナウンサーの岩手佳代子さん
「会社経営は『山あり谷あり』。実際は『谷』の方が多かったりしますが、私が入社した1991年頃は仕事が途切れることのない大きな『山』が来ていた時期でした。しかしその状況に甘んじ、結果として中国などの生産拠点との価格競争に負け、国内からの受注がほとんどなくなってしまいました。それが本当に辛かった。幸いにしてそれから徐々に受注は回復しましたが、その反省から自社独自の製品をつくることに目を向けるようになり、『STUDIO ZERO』は生まれました。『山』の上にいる時こそ、次の一手を。あの時、そんな教訓を得たのだと考えています」
オリジナルブランド「STUDIO ZERO」。ゼロは数字の「0」がオイカワデニムの頭文字「O」にもなるうえ、自社ブランドでゼロから出発するという決意、円形の中に希望や夢を詰めて商品を届けたいという思いを込めた
独自ブランドを立ち上げる前、常務取締役だった及川さんは営業を担当。東京"裏原宿"のショップの人たちと一緒に仕事をする機会も多かったそうです。当時、意識したのは、単に頼まれた通りの仕事ではなく、どんな商品を作るべきかを議論し、一緒に作り上げていくこと。
「ですが、技術力の高さは認められても、企業として成長していくにはそれだけでは足りない。当社の実力を分かりやすく示すには『これがオイカワデニム!』と言えるオリジナル商品が必要だと考えました。それが『STUDIO ZERO』を立ち上げた理由です」
オリジナルジーンズの開発で自社の優位性を示す
ジーンズの製法が時代とともに簡略化される中、「STUDIO ZERO」は流行を追わず、その原点に立ち返り丈夫さを追求。手間暇かけて一針一針丁寧に縫うことを心掛けているといいます。
工場では、昔ながらのミシンをさらに同社独自の改造を施して使用。オイカワデニムの緻密なもの作りを支える
及川さんは、完成したジーンズをプライベートでもはき、積極的に他業種の人たちと交流を図りアピールしたそうです。それが功を奏し、ある日の飲み会の席でのこと。いきなり初対面の外国人男性から「ソノジーンズ、ドコノ?」と聞かれ、「これは自分が作ったオリジナルだよ」と及川さん。
「名刺交換もせず、互いの素性も分からないまま(笑)。すると、しばらくして『イタリアで大規模展示会に出展してみないか?』とメールが届いたんです。実は彼はバイヤーで、当社のジーンズを非常に気に入ってくれたようでした」
イタリアの展示会に出展したのは2006年。ブースに来た人たちの多くはメイド・イン・ジャパンということ以上に「誰が作っているのか?」と、作り手に興味を持ってくれたそうです。「メーカーとしてうれしいことだった」と及川さんは目を細めます。
同社のジーンズには、ミシンで縫うのが難しい麻糸が使われている。これは業界初で技術力の高さがうかがわれる
それから数年後、東日本大震災に見舞われました。幸い、社屋に被害はなかったものの、津波で倉庫とともに数千本のジーンズが流されてしまいます。しかし、後に土砂の中から見つかったジーンズは糸のほつれが全くと言っていいほどなかったことから「復興のジーンズ」「奇跡のジーンズ」として話題になり、国内でもオイカワデニムの認知度が高まったのです。
16年、母の秀子さんから社長を引き継いだ及川さんは、その後も新たなブランドを発表し、ファンの輪を広げています。
「STUDIO ZERO」について説明する及川社長。心のこもった言葉に、デニムに対する真摯な姿勢が伝わる
[ 聞き手 ]
岩手佳代子 いわて・かよこ
フリーアナウンサー
1980年宮城県気仙沼市生まれ。地元宮城で情報番組のMCや初代楽天イーグルスのスタジアムDJも務めた。震災後は地元気仙沼で復興へ向けた活動も展開。復興屋台村気仙沼横丁の立ち上げの際には実行委員長として奮闘。みなと気仙沼大使。現在は子育てをしながら地元の魅力を発信し続けている。
A Turning Point for Original Products
ターニングポイントとなった東日本大震災
及川社長に当時の出来事を語っていただきました
震災当時のことを語る及川さん。手前にあるのは震災の復興商品として開発した人気のバッグ
あの時は工場を開放して、デニム生地を床に敷き、地域の皆さんに暖を取っていただきました。その後、4月に工場を再開しますが、地域の日常を取り戻そうと、工場で新たに人を雇用しようと考え、未経験者でも比較的簡単に製作できる商品を開発し、「入社後1年間、職業訓練ができる」と募集をかけたんです。この取り組みがオリジナル雑貨ブランドの立ち上げにつながっていきました。
比較的簡単に製作できる商品として開発されたオリジナル雑貨ブランドのデニム地バッグ。地元漁船が使っていた大漁旗の生地でアクセントを付けている
震災を機に地元漁師さんとの交流を深め、そこから新たな商品開発のヒントを得ました。「気仙沼が水揚げ量日本一であるメカジキ。その『吻』(ふん)と呼ばれる角のような部位は、ほとんどが廃棄される」という話を聞き、大学や研究機関の協力も得ながら、「吻」由来の繊維を織り込んだジーンズの開発に成功しました。メカジキジーンズは、ボタンに椰子の実を採用するなど、すべてが自然素材で作られていて、使い古しをそのまま捨てても"土に還る"んですよ。震災から始まった漁師さんとの交流が、世界初のジーンズを生み出したんです。
廃棄処分されていたメカジキの「吻」と、それを繊維化した世界初のジーンズ